shimom_bozeのブログ

自由人の自由で無責任な発言

高く広く、そして深く

BOZEです。

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昔、僕は、「花は己の生き方を迷わない」と聞いたことがある。

その通りだとその言葉に感動した。

花は、何があろうとも必ず、季節には咲かせる。

種の保存のために、ただひたすら咲き続ける。

 

成長発展の法則

 

この世には、成長発展の法則が存在する。

時間の経過とともに全ての生き物は発展するという考え方だ。

当然、その時代に合わないものは淘汰されていく。

これは、人間社会でも同じではないか。

 

成功する人は、企業も人もその法則に沿って

生きなければならないのでは。

では、どのように自然界の成長発展の法則の沿っての

生き方ができるのだろうか?

 

自然界は不思議だ。

命を次の世代に残そうと一生懸命に生きている。

もちろん簡単な環境などありはしない。

餌がなければ命がけでとらないといけないし、

光が当たらなければ、光が当たるところまで

枝を伸ばして光合成しようとする。

 

命をつなぐため懸命なのだ。

植物でも移動ができるのだ。

その瞬間にこそ「成長発展の法則」があるのでは

ないだろうか。

 

成長の領域

 

懸命に生きるが余暇の大切だ。

しかし、余暇や休みを求めても

それらを望んでいるのはむしろ人間だけかもしれない。

僕らは、意思を持ちいろんなことに挑戦して成長している。

 

どこかすべての生物の頂点にあるように

全てを支配しているつもりでいるのかも。

 

しかし、植物はそんなことは関係ないと思うことがある。

 

植物はより太陽の光を求めて「高く、高く」成長してきた。

そして、多くの光合成をしようと「広く、広く」

自分自身を拡大させる。

そして、その大きな体を支え、十分は水分を得ようと

「深く、深く」根ざす。

 

人間は、あぐらをかいているのではないだろうか?

僕らも植物のような生き方ができると思う。

 

高く高く目標を掲げ、

広く広く多くの人とつながりあって

深く深く、自分のルーツを大切の親孝行をする。

 

実は、それが自然界の成長発展の法則に

相応しい生き方ではないのかもしれない。

 

いや、そういう生き方をするべきなのだ。

 

最後まで読んでくださり

感謝しております。

「ありがとうございました。」

BOZEでした。